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少なくとも私は知りませんでしたし勉強になりました。いやー、いかにもEulerらしい数学的アイデアにあふれたしかし厳密さを軽んじた議論で味わい深いです(爆)。もっとも、数学者はほとんどみんな、論文とかの形になる前はトンデモぎりぎりの発言をしているものではないかと。
コメントありがとうございます。この証明は学生時代に教えてもらい、発想の自由さと、証明が怪しいことのギャップが楽しく、とても印象に残りました。といいますか、どうしてこんな方法を思いつくのだろうと。数学者が思考の痕跡を余り残さず、整理された結果を発表するようになったのは Gauss の頃からでしょうか。論文はともかく、書籍の場合、もう少し考えやアイディアに至った(場合によっては非論理的な)経緯も書いてあると楽しい、と思う場合があることは事実です。
当時は、まだあまり数学が発展していなかった(というと語弊がある?)ということもあり、厳密さを追うことより、『やれそうなことがあったらとにかくやってみる』、『計算できそうなものがあったらとにかく計算してみる』みたいな風潮のほうがあったみたいですからね。これくらい大胆な計算ができたほうが時代に合っていたのかもしれませんね。どこからこんな突拍子もない、素晴らしく美しい方法が出てくるんでしょうかねぇ・・・(笑)
コメントありがとうございます。お題目が「トンデモ」ですがこの「証明」は好きです。1-1+1-1+1... のような例と違い確実に収束値があり、さらに実際に最初の方の項を計算すると間違っている可能性はないという感じですね。sin の無限乗積表示での証明と本質的には同じなのだろうと思います。オイラーの直感力は神業としか思えません。
少なくとも私は知りませんでしたし勉強になりました。
いやー、いかにもEulerらしい数学的アイデアにあふれたしかし厳密さを軽んじた議論で味わい深いです(爆)。もっとも、数学者はほとんどみんな、論文とかの形になる前はトンデモぎりぎりの発言をしているものではないかと。
コメントありがとうございます。この証明は学生時代に教えてもらい、発想の自由さと、証明が怪しいことのギャップが楽しく、とても印象に残りました。といいますか、どうしてこんな方法を思いつくのだろうと。
数学者が思考の痕跡を余り残さず、整理された結果を発表するようになったのは Gauss の頃からでしょうか。論文はともかく、書籍の場合、もう少し考えやアイディアに至った(場合によっては非論理的な)経緯も書いてあると楽しい、と思う場合があることは事実です。
当時は、まだあまり数学が発展していなかった(というと語弊がある?)ということもあり、厳密さを追うことより、『やれそうなことがあったらとにかくやってみる』、『計算できそうなものがあったらとにかく計算してみる』みたいな風潮のほうがあったみたいですからね。これくらい大胆な計算ができたほうが時代に合っていたのかもしれませんね。
どこからこんな突拍子もない、素晴らしく美しい方法が出てくるんでしょうかねぇ・・・(笑)
コメントありがとうございます。お題目が「トンデモ」ですがこの「証明」は好きです。1-1+1-1+1... のような例と違い確実に収束値があり、さらに実際に最初の方の項を計算すると間違っている可能性はないという感じですね。sin の無限乗積表示での証明と本質的には同じなのだろうと思います。オイラーの直感力は神業としか思えません。