Edit Comment on
20090324-1
n[0] = "てなさく"; m[0] = "集合論なら 0, {0}, {0,{0}}, {0,{0},{0,{0}}}, ... のことなのでは? つまり、メタ理論の自然数、すなわちホンモノの自然数に対応している形式的システムのオブジェクトが標準的自然数なのではないかと思うのですが、どうでしょうね。とはいえ「ホンモノの自然数」の定義がないので、そういう意味では「標準的自然数」にも定義がないのでしょう。
だって、フォーマライズされた言語で書けるような定義があって、その定義に当てはまる対象が無限個存在したとしたら、そのフォーマライズされた定義をみたす「意図せぬ」対象が必ず存在するわけだから、定義がないのが正解なんです。きっと。"; d[0] = "2009-03-24 14:58:09"; n[1] = "てなさく"; m[1] = "ちょっとだけ定数、じゃなくて訂正。
(誤)そのフォーマライズされた定義をみたす「意図せぬ」対象が必ず存在する
(正)そのフォーマライズされた定義をみたす「意図せぬ」対象を含む非標準モデルがかならず存在する
"; d[1] = "2009-03-24 15:00:43"; n[2] = "かがみ"; m[2] = "やはり具体的な自然数を理論で表現したものが標準的自然数ということで、形式システムでは定義不可能なのでしょうか。集合論に限定して、理論の標準的自然数は ω の要素のことである、という割り切りはありえないのでしょうか。標準的というのは相対的な概念であるという感じで。すみませんまたわけが分からなくなってきました。もう少し考えさせて下さい。ここからはトンデモですが、われわれが認識している普通の自然数だって、外から見れば超自然数を含んでて、でも中にいる限り絶対に気がつかないとか。
てなさくさんはもしかして東北出身なのですか?
"; d[2] = "2009-03-24 15:44:31"; n[3] = "
イガ(ラシ)
"; m[3] = "すいません、割り込み失礼します。
私は専門家ではないのですが、私なりの解釈を述べさせて頂きますね。
まず、非標準的自然数というのは、その存在が証明されるものの、それを具体的に見つけることが不可能なもの、だと思います。
つまり、$\exists n, \phi(n)$ が偽であるものの証明可能であるときに、この n を非標準的自然数と呼ぶのではないかと。
そして、$\exists n, \phi(n)$ が真でかつ証明可能であるときに、この n を標準的自然数と呼ぶのではないかと。
ここで、任意の n について $\phi(n)$ の真偽は決定可能であるものとします。
それから、「理論の標準的自然数は ω の要素のことである」とは言えないと思います。
任意の帰納的で無矛盾な体系 T において $\neg Con(T)$ は偽である独立命題であって、しかも、$\exists n, \phi(n)$ の形をしています。
$\phi(n)$ は、n が T の矛盾の証明のコードになっていることを表す文です。
そして、偽である文 $\exists n, \phi(n)$ を加えた体系は無矛盾であるので n は非標準的自然数になりますが、この n はωの要素であることを証明可能です。
何か間違ったことを書いてしまったかもしれません。
しかも、ところどころ、厳密さに欠けているようです。
突っ込みは大歓迎です。
失礼しました。"; d[3] = "2009-03-24 21:42:59"; n[4] = "てなさく"; m[4] = "イガ(ラシ)さんはじめまして
前半の、非標準的自然数に対する解釈は、おそらくそうではないと思います。
\phi(0), \phi(1), \phi(2), ...
がすべて個々に証明可能であり、かつ、
\forall x \phi(x)
が証明不可能であるという状況を考えると、
\exists x (\neg \phi(x))
が無矛盾でモデルをもつわけで、そのモデルにおいて、
\neg \phi(N)
をみたす N のことを、非標準自然数と呼ぶのだと、わたくしは思います。裏を返せば、標準的自然数というのは、
1, 2, 3, ...
とでも言うしかないもので、この ... というのがフォーマライズできないというわけです。
その意味では、後半に述べられた例がまさに正鵠を得ていると思います。要するに、無矛盾な体系Tの「矛盾の証明」が、非標準的な数論的オブジェクトの典型例であろうと思います。"; d[4] = "2009-03-24 22:31:32"; n[5] = "てなさく"; m[5] = "ところでかがみさん、わたくしが東北出身か、というのはFuさんと同門か、という趣旨の質問ですか?"; d[5] = "2009-03-24 22:37:33"; n[6] = "かがみ"; m[6] = "東北地方では訂正と定数の発音は同じなのです。通じなかった ...orz
すみませんが本論の方は明日出張なのでもう少々考える時間を下さい。"; d[6] = "2009-03-24 22:39:20"; n[7] = "くるる"; m[7] = "てなさくさんの解説に同意します。定義がないのが正解でしょう。とはいえ、Mendelsonの教科書とか平気でNを標準モデルとすると、とか言っていますが。
ただし、例えばある集合論のモデルVからみて、その中で構築された自然数論のモデルの元が非標準的なんて見方もしますよね。この場合にはほぼ$\omega$の元は標準的といっているのに等しいわけです。つまりは、ytbさんの書いてらっしゃったモデル相対的な標準自然数の概念です。この二つを使い分けている感じですね。"; d[7] = "2009-03-25 14:18:25"; n[8] = "
イガ(ラシ)
"; m[8] = "てなさくさん、はじめまして。
多分、私とてなさくさんは同じことを言っています。
\exists n, \phi(n) が偽であるものの証明可能であるときに、この n を非標準的自然数と呼ぶ
と書きました。
\exists n, \phi(n) が偽である独立命題のとき、仮定から、任意の n について \neg \phi(n) が証明可能です。
しかし、\forall n, \neg \phi(n) は証明できないわけで、したがって \exists n, \phi(n) を満たす無矛盾なモデルが存在することになり、そこでのこの n のことを非標準的自然数と呼ぶ、と言ったのでした。
つまり、てなさくさんと私のとでは、\phi(n) と \neg \phi(n) が裏返っているだけです。"; d[8] = "2009-03-26 00:38:42"; n[9] = "かがみ"; m[9] = "(イガ さん) イガさんのコメントで ω への言及がありますが、どうして ω に言及することが可能なのかよく分かりません。その部分を詳しく説明して頂けるとうれしいです。"; d[9] = "2009-03-26 00:54:50"; n[10] = "
イガ(ラシ)
"; m[10] = "(かがみさん)
ごめんなさい。
上で「任意の帰納的で無矛盾な体系T」と書きましたが、ここでのTはZFCのような、ωを定義可能な体系を念頭においていました。
そのようなわけで、Tは無限公理を含んでいるものと考えて差し支えないかと思います。"; d[10] = "2009-03-26 09:17:54"; n[11] = "かがみ"; m[11] = "(イガさん) T=ZFC とした場合 ZFC + ${\exists n}(\phi(n))$ が成り立つモデルでの最小の無限順序数は「本当の」ω になるとは限らないような気がするのですが。間違っていたらごめんなさい。"; d[11] = "2009-03-26 11:36:58"; n[12] = "
イガ(ラシ)
"; m[12] = "(かがみさん)
「本当の」ωにはならないので、「本当の」ωとの差異分が非標準的自然数になるのだと思います。
つまり、ZFC+\neg Con(ZFC) のモデルにおいてωの要素であると証明可能な非標準的自然数が存在するので、「標準的自然数はωの要素のことである」とは言えないのです。
多分。"; d[12] = "2009-03-26 11:51:38"; n[13] = "かがみ"; m[13] = " (イガさん) 了解しました。かがみが書いた「理論の標準的自然数は ω の要素のことである」という文面は、「本当の」 ω という感じだったのですが言葉遣いが良くなかったみたいです。"; d[13] = "2009-03-26 13:06:08"; n[14] = "
イガ(ラシ)
"; m[14] = "(かがみさん)
文面を誤解してしまってすいませんでした。
それから、コメント欄を汚してしまいまして、重ね重ね申し訳ありません。"; d[14] = "2009-03-26 14:56:30"; n[15] = "てなさく"; m[15] = "イガ(ラシ)さん、
なるほどそういう意味では、同じことを言っていますね。
ただ、わたくしが「おそらくそうではない」と言ってしまったのは、「その存在が証明される」というところに引っかかってしまったのです。
ZFC + \neg Con(ZFC) のもとでのZFCの「矛盾の証明」などはたしかにそうした例になっています。
しかし、超準解析でやるように、ZFCの「標準モデル」を「ωモデルですらない超準モデル」に初等拡大した場合には、非標準的な自然数は体系の内部で存在が証明できるわけではありませんよね?
あくまで、そのモデルの外に足場を確保して、標準モデルと比較しながら「これは標準要素、これは超準要素・・・」ってやっているだけですから。
いずれにせよ、早とちりですみません。"; d[15] = "2009-03-26 20:19:02"; n[16] = "標準モデル"; m[16] = "一階論理上の自然数論のモデル理論だってロジックの一分野なわけで、要するに(メタ理論及び研究対象を固定してしまえば、Hilbertのテーゼを認める限りにおいて)形式化が可能な普通の数学ですよね。
哲学的には、唯一の標準モデルというものに対する確定記述は与えられないし、そもそもそういうものが存在すると考えるのは哲学的に妥当なのかとかそういう問題もあるでしょう(ダメットが「真理という謎」所収の「ゲーデルの定理の哲学的意義」で関係ありそうなことを書いてたと思います。参考URL:http://phsc.jp/dat/rsm/20081122b1_1.pdf)
ただ、数学者が「Mが非標準モデルであり〜〜なとき、〜〜が成り立つ」とか言うときに、Mが「標準モデルである」、あるいは「そうでない」ということを根拠に用いている性質というのはたかが知れていると思うんです。実際には、メタ言語のnumeralの全体と一対一対応するという性質くらいしか使っていないと思います。「数学的議論の前提」という意味ではそういうことで良いんじゃないかと。てなさくさん、くるるさんと同じですね。
>イガ(ラシ)さん
やはり何か混同されていると思います。メタレベルとオブジェクトレベルの混同か、semanticsとsyntaxの混同のどちらかだと思います。たぶん、ですが。"; d[16] = "2009-03-26 21:37:45"; n[17] = "かがみ"; m[17] = "たくさんのコメントありがとうございます。コメントのお礼というか、自分で思ったことは 3月27日の記事に記載しました。"; d[17] = "2009-03-27 19:11:04"; n[18] = "
イガ(ラシ)
"; m[18] = "(てなさくさん)
私の方こそ、誤解を招くような表現を使ってしまって、すいません。
(標準モデルさん)
以前はブログにコメントをありがとうございました。
おっしゃる通り、何か混同しているのかもしれません。
素人が迂闊に手を出して火傷してしまったようです(汗"; d[18] = "2009-03-27 20:14:29";
(password)