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20080725-1
n[0] = "
くるる
"; m[0] = ">代数や解析の基本がマスターできていないければ、いくら集合論を勉強しても強制法の概念や証明のマスターは難しいと思います。
これはどうなんでしょうね?私などは、数学における証明のやり方みたいなものさえ身についていれば、代数や解析などの教養は必要ないのではないかと思ってしまう方ですが、自分が最初に勉強したときは学部初期に数学の基礎を叩き込まれた直後だったわけでちょっとバイアスがかかっているかもしれません。それに「証明のやり方みたいなもの」を身につけるのに、初歩の代数や解析以上に有用な題材があるのかと言われると返答に困りますが。
他の方々はまた違った意見をお持ちかと思いますが、とりあえず私見を。"; d[0] = "2008-07-26 14:12:11"; n[1] = "通りすがり"; m[1] = ">forcingは難しいものではないはず
"forcing"を"相対性理論"に置き換えても正しいと思うが、世の中には相対性理論が理解できない人も沢山いる。これは証明のやり方とか教養の有無とかではなく、自分の中での"常識"を否定できるか否かの精神の余裕の問題かと思う。ちなみにコーエンはもともと解析が専門で、しかも一発当てるために未解決問題である連続体仮説に手を出した点で、日本人からみるとかなり「非常識」な人である。もちろん、成功する人は非常識な人が多い。常識にそって生きていれば成功できるほど世の中は甘っちょろくない。"; d[1] = "2008-07-26 15:56:56"; n[2] = "
イガ(ラシ)
"; m[2] = "こんにちは。初めてコメントします。
「集合論雑記」と「強制法入門」へのアクセス数の多くは、私が残したものかもしれません…。
かがみさんの説明は具体的で分かりやすいので、集合論の勉強の際にちょくちょく参考にさせて頂いています。
forcingが難しいものかどうかについては、私がまだよく理解していないせいもあるかもしれませんが、集合論と離れたところにいる方々にとっては、やはり難しいのではないかと思います。
もちろん、各々の証明が論理的に正しいことを納得するのは、数学についての教養があれば充分に可能なはずですが、モデルがどうのという話になると、そこは他の分野にはない直感のようなものが必要になるかと思いますので。
初めてのコメントがこんなもので申し訳ないです。
これからも日記の更新を楽しみにしています。"; d[2] = "2008-07-26 22:56:12"; n[3] = "かがみ"; m[3] = "(くるるさん) うーん、私自身強制法の勉強をしたときのことを思い出すと、代数的な発想や解析の初歩で勉強する内容について自明化していたので大分楽できたとは思います。もちろん論理学や集合論の初歩的なの知識だけで強制法の勉強をすることは、原理的に不可能ではないと思いますが、やはりそれなり色々な方面の知識があったほうが楽できることは確かだと思います。人の集中力なり忍耐力には限度があり (というか集中や忍耐できるというのも才能だと思います) 、それってその方面への興味や、前提となる知識にかなり影響される部分も多いと思うのです。そういう意味で、やはり数学の基本的な教養がない場合、強制法をマスターするにはかなりの困難があるのではないかと思います。代数の基礎や解析の基礎について良く理解していて、さらにそれなり意欲と時間ががあるのに強制法までたどりつけないというのはちょっと不思議な気がします。それから、くるるさんが言及されている方は非常に謙虚な人なので、ほんとは良く分かっているのだと思います。いまいち説得力ありませんが、自分の体験からの感想ということでご容赦の程お願い致します。"; d[3] = "2008-07-28 02:01:32"; n[4] = "かがみ"; m[4] = "(通りすがりさん) 物理の方面にはまったくうといので、相対論の方はよく分からないのですが、強制法に関して「はまる」とすると、上で書いたように意欲 (実はこれも才能) とかテクニカルな問題が多いような気がします。例は良くないかも知れないのですが、綺麗に音階を弾けないのにベートーヴェンのピアノソナタに挑戦するような。もしくは古典音楽の演奏ができないのに、現代音楽の演奏に挑戦するような感じでしょうか。おそらく強制法についてもっとも貢献したコーエンとソロヴェイがもともとは解析学者だったのは偶然ではないような気がします。"; d[4] = "2008-07-28 02:08:53"; n[5] = "かがみ"; m[5] = "(イガ(ラシ) さん) あ、こちらでは初めてでしたっけ。コメントありがとうございます。先日はイガさんのところにバグだらけのコメントを書いて失礼しました。x, y も逆でしたね。集合論的な考えが難しいのはたしかだと思いますが、その難しさをそれほど時間をかけずに克服するのって、やはり「普通の数学」にそれなり慣れているかどうかって存外重要な気がします。もっとも、くるるさんのコメントへの返信でも書きましたが、自分の体験からのみの憶測なので、間違っている公算は大ですので、その辺りはご容赦の程お願い致します。"; d[5] = "2008-07-28 02:15:54"; n[6] = "標準モデル"; m[6] = "小平先生が東大紛争の頃(50代半ば)に強制法を勉強したが理解できなかった、とお書きになっていました。代数や解析の知識も"mathematical maturity"も充分だったはずですが。ただしCohenの原書が出たのが東大紛争の二年前なので理論が今ほど整備されておらず大変だったのもあるかも知れませんが。
>そこは他の分野にはない直感のようなものが必要になるかと
に同意見です。
>東大の紛争の頃だからもう一〇年も前になりますが、基礎論を勉強しようと思いましてね。(中略)ずい分熱心に勉強したんですけれどもね。ゲーデルの不完全性定理はどうやらわかった、といっても僕が自分で勝手にわかったと思っただけで本当にわかったかどうか、あやしいものですが、コーエン(Cohen)のforcingはついにわかりませんでした。若いときから勉強しないと数学の基礎がわからないというのは変なことだと思うんです。
「怠け数学者の記」(p.228)所収 数学とは何だろうか (『科学』一九八一年九月号)"; d[6] = "2008-07-29 03:31:20"; n[7] = "かがみ"; m[7] = "小平先生の forcing に関するお話はどこかで聞いたことがありますが、コーエンオリジナルの強制法と現在の整理された強制法は、学習する困難さについて天と地だと思います。それはともかくとして、私自身本文を自分の経験のみで書いてしまった面もありますし、今の強制法の基本ってちょっとした位相を考えた代数にしかみえないのですが、書き方が少々極端すぎたかなと反省しています。「『普通の数学』もきちんと勉強しといたほうが良いです」位の表現にしておけば良かったのかも知れません。
小平先生といえば、おそらく東大紛争の関係で缶詰めにされ、「おまえは学者馬鹿だ」と糾弾されたとき、「たしかに私は学者馬鹿かも知れない。だが君たちはただの馬鹿だ」という意味のやり取りがあった話も聞いたことがあります。"; d[7] = "2008-07-29 15:03:44";
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