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修学旅行・男子生徒3名による地下鉄不正乗車事件の顛末、 こんな感じかな?

6月26日(水)から6月28日(金)にかけて、2泊3日の日程で、 二女の通う中学校の修学旅行が行われました。 梅雨の時期にしては、比較的天候にも恵まれ、 大きな旅行鞄を、お土産でいっぱいにして、 満足げな笑顔で帰ってくるはずでした。 ところが、帰宅して早々、目をまん丸にして 「ちょっと聞いてよ。」と始まった話は・・・

26日の朝早く、まだバスも走っていない時間に家を出発し、 無事で楽しい旅行を終えて帰ってくるものとばかり思っていたのに。 聞いてるこちらが、あきれ返るような出来事が、起こっていたのです。

事件の成り行きを説明する前に、 3年生みんなが、どんなに真剣に準備に取り組んだかについても 理解しておく必要があります。 子どもたちにとって、「修学旅行」は、ただの物見遊山の旅ではなく、 中学校3年間の学習の、集大成ともいうべき重さを持っていました。 1年生の時には、八ヶ岳研修、 2年生の時には、鎌倉散策という行事があるのですが、 これらは、3年次で行われる修学旅行を踏まえての、 集団行動(グループ行動)の訓練の場でもありました。 このような学習を経て、3年生になってまもなく、 修学旅行の事前学習が始まりました。 それは、今年度新設された、「総合的な学習の時間」の学習活動として、 2ヶ月にわたって、行われました。 京都・奈良の名跡について、生徒みんなで分担して調べ、 班を結成し、グループ行動について指導を受け、 第2日目の班別行動の旅程を計画し、バスや電車の座席表まで作って・・・ という風に、大学ノートを丸々1冊使うほどの、入念なものでした。

事件が起きたのは、第2日目の班別行動の開始直後でした。

男子3人、女子4人の計7人で、 二条城、「八橋」の手焼き体験、祇園の街の探索、清水寺等を見学、 という計画になっていました。 旅館を8時半に出発して、地下鉄を使って二条城へ、 というはずだったのですが、女子4人が改札を通った後、 男子3人は子ども料金で改札を通ろうとして、駅員に呼び止められ、 女子も一緒に駅の事務室で怒られ、 引き取りに来た引率の先生と旅館に戻り、 男子が怒られている間、ずっと待たされ、 「八橋」の手焼き体験の予約時間が迫ってきていたので 予定を変更して、先に八橋本舗に行く事になり、 せっかくタクシーをとばしたにもかかわらず、 男子が迷って、さらに時間が無くなったために、 計画通りの日程の消化は不可能になり、 先生の指示で、次は、二条城に行き、 祇園は省略して、清水寺以降の見学を続けることになりました。

子どもたちとしては、「二条城」は、初めから見学したかったわけではなく、 時間が余ったので計画に入れた見学場所で、 「二条城」よりも「祇園」の方に行きたかったのだそうです。 その旨を先生に申し出たら、先生は、 「本部の指示なので、二条城に行ってください。」の一点張りで、 とうとう、祇園には行くことができませんでした。

二女は修学旅行から帰ってきて、怒ること、怒ること。 事情を聞くうちに、旅行団の引率の先生の指導に 疑問を感じる点もあり、先日の学期末の三者面談の折に、 担任の先生に尋ねてみました。

わたしの疑問点は2つ。

1つは、男子生徒が地下鉄に不正乗車しようとした事について、 学校側は、女子にも責任があると考えているのか。

もう1つは、不正乗車をしようとした当事者にのみ責任があるのなあらば、 責任のない女子は、先に、計画通りの活動に入り、 合流できる段階で、男子を合流させる、という配慮を してくれてもよかったのではないか。ということです。

それに対する、担任の回答は、 女子には、何1つ悪い所はない、 ただ、グループ行動の中での出来事なので、連帯責任がある。 この修学旅行の目的の1つは、「グループ行動のたいへんさ、 自分勝手なことができない厳しさ、仲間が居ることの有難さを 実感できる心を養う。」ということもあるので、 グループの枠をはずすわけには行かなかった、ということでした。

この回答は、納得できるものではなかったので、さらに質問しました。

納得のいかない事柄;

1.女子は悪くないのに、責任がある、というのは、 いかにも、先生特有の見解で、一般には全く理解不能な論理です。

2.また、グループ行動をとらなければならない、という原則についても 一方に明らかな違反がある以上、どうしても守られなければならない ということは、ないと思います。 約束や契約は、お互いが守って、はじめて成立するものです。

それでもなお、担任からの回答は、 ・グループはあくまでも、グループとして行動しなければならない。 ・祇園を省略して二条城に行かせた判断は、けして間違っていない。 というのみでした。

学校という所だからこそ、道をはずれてしまった友達に 手を差し伸べてあげる優しさが大切だというのは、 考え方としては、わからなくもありません。 でも、3人の男子生徒を救うために 4人の女子生徒が犠牲になる、というのは、 先生から一方的に強制されて、価値のあるものなのでしょうか。 先生から「女子は先に行ってよい」といわれたにもかかわらず、 「いいえ、待ってます。仲間だから。」という意思表示があったのならば、 それは、とても意味のあることだと思います。 形だけのグループ行動をさせたことに、 何の教育的配慮があったというのでしょうか。

4人の女子生徒は、200人の修学旅行団のわずか2%です。 たった2%だったから、切り捨てられた、というのが 実際のところのような気がします。

「行動のルール」について指導を受け、しかも、そのルールの詳細が 事前学習ノートに明記されているにもかかわらず、集団行動のルールが守れず、 ましてや、不正乗車という明らかな違法行為を犯した者には、 もはや、グループ行動をとる資格はないと思われます。 したがって、男子3人は、「行動のルール」に違反し、 違法行為まで行った時点で、すでに、修学旅行を続行する権利は無いのでは ないでしょうか。

したがって、女子4人で計画を続行することに問題はないと思うのですが。

百歩譲って、7人全員で行動できるまで女子が待つとして、 「1箇所どうしても見学コースからはずさなければならないのなら、 二条城をはずして祇園には行かせてほしい。」 と生徒が申し出ているにもかかわらず、 その申し出は、全く無視されてしまったのは何故かを尋ねたところ、 事件を起こしたばかりなので、祇園探索はとても心配だった、 実際、「八橋」体験に男子がなかなか到着せず、 先生方が何人もあちらこちらを探し回ったということもあり、 引率者の手に負えない状況になることが予想された。 祇園を歩く途中、「高島屋」に寄る、と噂で聞いていたが、 「高島屋」は計画書への記載が無く、その点を考えても また、何かするのではないかと不安で、祇園に行かせたくなかった、 という回答でした。

それならば、そういう理由だということを、なぜ、その時に 生徒たちに話してくれなかったのでしょうか。

生徒を信頼していない、というのは、 先生にとって、生徒には悟られたくないことです。 理不尽な気持で二条城に向けて出発した生徒だって、 先生を信頼できない気持だったと思います。

子どもたちだって、もう14〜15歳です。 理由を明示して貰えれば、話し合うことはできたはずです。 そのために、時間が無くなり、本当に祇園に行けなくなったとしても お互いの信頼を取り戻すことの方が大事だったのでは ないでしょうか。

(「高島屋」見学には、まだイワクがあります。 班の係り分担で、2日目の班別行動の計画は、2人の男子が あたっていたそうなのですが、その2人が何もせず、 他の係りの女子2人が資料集めから、電車・バスの運行時刻調べまで していたそうです。 担任先生から、「男子の意見も聞きなさい。」と言われ、 何も協力しようとしないとしない男子から、やっと引き出した意見が 高島屋に行きたい、だったのだそうです。 そこで、祇園見学の中に高島屋を入れることにして、計画書の上には、 「高島屋」という文字は、入れなかったのだそうです。 そして、ここが、女子のいたらなかった点だったのですが、 せっかく京都に行って、何でデパートなのか、と思い、 高島屋は後回しにして、もし、時間がなくなったら、 省略してしまおう、と思っていたのだそうです。 だから、なおのこと、「高島屋」の文字は、計画書に 入らなかったわけです。 でも、さらに、ここで疑問に思うことがあります。 担任は、高島屋行きについて、何らかの情報をもっていて、 なぜ、それを確認せず、生徒たちの計画を泳がせていたのか、ということです。 わたしには、万一の場合、計画書に偽りがあったという理由で 祇園に行かせないようにするための切り札に、 あえて気付かないフリをしていた、としか思えません。)

そもそもの事の始まりは、男子3人と女子4人の間に 協力という語彙は無かったことです。 2年次の「鎌倉」では、男女別の班行動をしてきて、 修学旅行で始めて、男女混合の班編成になったことで、 子どもには、不満もあったようです。

班を作る際に、男子、女子別々に3〜4人のグループを作り、 くじ引きで、男子班と女子班を組んでいったということです。 しかも、最初の組み合わせに、不満が出たので、 もう1度くじ引きをし直してできた班だそうです。 クジをやり直したために引いてしまったビンボウクジ。 問題を起こした男子たちは、女子全員が この男子のグループとだけは組みたくないと思っていたそうです。 それでも、あんな事件さえ起こしてくれなければ、 よい関係が築けたかもしれないのに。 (3年の初めの頃、グループの1人の男子について、二女の評価は、 『最近はそんなに悪いことはしなくなった。』というものでした。)

班編成については、担任の方でも 別のやり方をすべきだったとの思いがあるそうです。 (2年次の鎌倉散策の時の指導も含めて。)

班を作った段階で狂ってしまった歯車は、最後まで そのまま回ってしまった、ということです。

修学旅行の費用は、決して、安いものではありません。 何万円もの大金を使って親が得たものは、 先生への不信です。

これから、高校受験に向けて、この先生に調査書を 書いてもらわなければならないのです。 とても複雑な心境です。

こんなところかな。 今の気持は。

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