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20070324-1
n[0] = "通りすがり"; m[0] = "問題は「標準的自然数」の形式的定義によって、何を期待するかです。Standard Model氏がいっているのは、集合論のモデルを一つ決めれば、その中で自然数のモデルは一意的に定まるということかと思います。ただしこの場合、集合論における標準モデルをどう決めるのかという問題が出てくるでしょう。少なくとも、集合論が標準的自然数そのものを一意的に決めるわけではありません。それはゲーデルの不完全性定理に抵触します。"; d[0] = "2007-03-25 16:22:42"; n[1] = "かがみ"; m[1] = "通りすがりさん、こんばんは。あれっ、話が通じてないですか? 言及されている部分は、通りすがりさんの書かれたことは当然として、「数学外」の話として書いた部分だと思うのですが。なので (ト) 的であるとも断ったのですが。あっ、でも真偽について考えるべきではないと前に書いた割にはだめですね。やはり (ト) です(笑)。
"; d[1] = "2007-03-25 19:46:01"; n[2] = "通りすがり"; m[2] = "すみません、読み取れませんでした。「我々の通常の直感で考える「自然数」を忠実に表現している保証は全くないわけで、(・・・中略・・・)それが本当に「機械に計算できる」という概念と結びつくのか良くわからなくなってしまうのです。」とあったので、「集合論のモデルが、直観を忠実に表現してるかどうか」が関心事なのかとおもったのです。いや、それはそれでいいんですが・・・"; d[2] = "2007-03-26 13:05:28"; n[3] = "かがみ"; m[3] = "通りすがりさん、こんにちは。
こちらこそ分かりにくい表現で申しわけございませんでした。で、計算うんぬんに関しては、もちろん形式されてしまえば、「現実」との乖離が生ずるのは当然ですが、物理への応用に比べて、その乖離の解釈、特に「計算可能」関連に関することがらは、数学の基礎への影響が大きいのではないかとの疑問を持ったわけです。なのでその辺り、一般的にどのように考えられているのか、特に計算理論に詳しい方に教えていただければうれしいな、という意図でした。
それでは今後とも宜しくお願い致します。"; d[3] = "2007-03-27 15:08:38"; n[4] = "通りすがり"; m[4] = "おっしゃるとおり、計算可能性は、実質の話なので、形式的定義に馴染まないでしょう。例えば、関数の停止性を、集合論によって証明したりしているわけですが、別にそれで十分だとはいえないでしょう。
「数学の基礎への影響」というのは正直よく分かりません。数学の基礎づけなんていうのは、ゲーデル以降はもう論じられなくなったようなことだと思ってるので。実際、ゲーデルの結果を考えれば考えるほど、そんなことは無理だろうと思いますが。"; d[4] = "2007-03-28 18:16:13"; n[5] = "かがみ"; m[5] = "通りすがりさんこんにちは。
確かにこの辺りを考えると案外微妙というか、訳が分からなくなってしまいます。さらに私自身、こちらの方面は明らかに勉強不足ですので、機会があったらきちんと勉強し直したいと考えています。
色々教えて頂きありがとうございます。"; d[5] = "2007-03-29 12:06:52";
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